Part2
中島製21型後期型
今回は、中島の21型です。もともとは、個人的な好みから52型以降を主に取り上げていこうと考えていたのですが、いきなり21型を取り上げてしまいました。
後期型 |
塗装は、381空神崎大尉機といわれるもの。機番は、推定
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特徴
*3、4は、後期型だけの特徴では、ありません。 弾倉部分周辺:100発弾倉用のバルジ、打殻放出孔扉、バランスタブ用ロッドを示す
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解説
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中島製21型後期型=41型? 最近になり、学研「零戦2」等で41型の存在が明らかにされており、それによると41型とは、21型の20mm機銃の携行弾数を増やしたもので中島への発注が予定されていたものとなります。実際には、ベルト給弾の20mm機銃が間に合わず、生産されなかったとされている、この41型ですが実は、中島製21型後期型が、もともと41型として計画されたものだったのではないでしょうか。言葉を変えると、41型を計画した時に、「41型計画仕様書」、もしくはそれに準じたもの(以後「計画仕様書」と呼びます)が作成されたと思うのですが、その「計画仕様書」に基づき変更を行った機体が、21型後期型だったのではないでしょうか。 公開されている資料によると、41型は、携行弾数を「各銃100乃至150発(ベルト給弾)」としたものとあります。この「100乃至150発」の意味が、ポイントとなるのですが、ここにある、「乃至」(ないし)の意味を手元の旺文社漢和辞書で引くと、「@中間を省略していう語。何何から何々まで、Aもしくは、あるいは、」の意味があるので、「100乃至150発」を簡単な言葉に書き換えると、「100から150発」あるいは、「100もしくは150発」となり、41型とは、20mm機銃弾を100発から150発としたものとなるようです。 ところが、自分の場合、少し前までは、21型への100発弾倉の導入は、比較的早い時期に行われて、41型が計画された時点では、100発弾倉がすでに標準だったと推測していたので、「100乃至150発」の意味するところは、100発は含まない、150発のベルト給弾だけだろうと考えてしまいました。しかし、実際には、少なくとも18年7月末まで60発弾倉のままで製造が続いていましたから、そうなると41型が書類上にあらわれる18年4月末の時点では、「100乃至150発」というのは、文字通りに60発から100発への増加も意味していると考えるのが自然ではないかと思います。結果として、100発弾倉を装備した21型後期型は、150発には届かなかったものの、41型の最低要求の100発は、達成した仕様、つまり41型そのものだったといえるのではないかと考えています。 また、これは、感覚的なものですが、21型後期型が41型の「計画仕様書」に基づいたものとすると、型式名が変わるほどの変更では、その「計画仕様書」に機銃弾増加以外の変更も同時に盛り込まれていても、おかしくないと思います。この理由から、バランスタブは、モデルチェンジに伴い100発弾倉と同時に導入されたのではないかと考えています。 |
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少ない写真と資料での推定、想像ですので検討が足りないところも多々あります。是非、みなさんのご意見をお聞かせ下さい
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主用参考書籍:学研零式艦上戦闘機2、写真集零戦、闘う零戦、世界の傑作機、スケールエビエーション誌各号